こうでいの探訪記

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【灯台】尻屋埼灯台[青森県 東通村]

灯台】尻屋埼灯台青森県 東通村

《訪問年:2013年・2017年》

青森県 東通村 下北半島北東端にある灯台です。

北側が津軽海峡、東側が太平洋になる潮の変わり目にあります。

その為、昔より海流の影響を受け濃い霧がよく発生する難所として知られています。

日本初の霧鐘・霧笛の設置、光達距離を可変できる構造のレンズや2600万カンデラという破格の灯器を導入したりと「霧」に挑み続けた灯台です。

また、隕石が落ちてきたり、「まぼろし灯台」といった逸話や歴史が数多く残る灯台でもあります。

 

太平洋廻りの航路は江戸時代に開かれていましたが、東北・蝦夷地への物資輸送は、もっぱら日本海経由の西廻り航路(北前船)で行われていました。

当時の航海技術では、犬吠崎と津軽海峡を安全に通過出来ず積荷の保証が困難であったため、わざわざ遠回りしてでも確実な方から運搬していました。

このような経緯から東北地方で最初の灯台となる「尻屋埼灯台」が建設されました。

初点は1876年(明治9年)です。

 1877年(明治10年)日本初の霧鐘を設置。

 1879年(明治12年)日本初の霧笛を設置。

           この霧笛が現在、千葉県の犬吠埼灯台で展示されています。

 1883年(明治16年)隕石が落下しガラス破損。

 1901年(明治34年)日本初の電気式灯台に改修。

 1945年(昭和20年)米軍の攻撃を受け運用不能

 1946年(昭和21年)怪現象「まぼろし灯台」が起きる。

           仮灯を設置し仮復旧。

 1949年(昭和24年)灯塔復旧が完了。本灯再開。

 2005年(平成17年)無人化。

 2018年(平成30年)一般公開開始。参観灯台となる。

光度53万カンデラ光達距離18.5海里(約34km)、単閃白光10秒毎1閃光、塔高32.82mでレンガ造りの灯台では日本一の高さとなっています。

日本の灯台50選、保存灯台Aランクとなっています。

この灯台の有名な話として、夜な夜な窓に灯りがともる「まぼろし灯台」というお話があります。

昭和20年7月に米軍機による機銃掃射を受けて灯台が破壊された際、職員の方が殉職されました。

この攻撃以降は消灯していましたが、翌年5月に灯台職員が窓にともる灯りを目撃しています。

7月には数名の漁師が「濃霧とエンジン故障で漂流していたところ、灯台の灯りを見つけて浜に上陸できた」と礼を言いに訪れています。

また、船舶組合より貨物船が横浜へ向かう際、灯台に不動灯の様な灯りがともっていたが、帰りには消えていたとの照会を受けています。

8月に仮設の灯火を点灯してから、この不思議な現象が起こる事は無くなりました。

この灯りが何だったのか今も分かりませんが、殉職した職員の霊が点灯したのでは、という説が信じられています。

建設から140年以上経った今も、津軽海峡を往来する船舶の安全を守り続けています。

尻屋崎周辺には「寒立馬」(かんだちめ)と呼ばれる馬が放牧されています。

元は平安時代下北半島で放牧されていた、南部馬の子孫にあたります。

江戸時代以降に軍用馬育成を目的として、外来馬と交配し大型に改良されました。

この訪問時は、灯台横に寄り集まっていました。

どこに居るかはその日次第です。

名前の由来ですが、「寒立ち」とは、カモシカが冬季に長時間雪中に立ちつくす様を表したマタギ言葉です。

立馬は元々は「野放馬」と呼ばれていました。

尻屋崎の雪原で野放馬がじっと立っている様子が、カモシカの「寒立ち」に似ており、これをかけて尻屋小中学校の校長先生が、年頭の書初め会にて「東雲に勇みいななく寒立馬筑紫が原の嵐ものかは」と詠んだのが広がり、この名前で呼ばれるようになりました。

立馬は人に慣れているので近づく事が出来ますが、動物であるという事を踏まえ

十分な注意がいります。

手に持っている物などをかじろうとするので注意が必要です。

冬の厳しい寒さと粗食に耐え持久力に富むため、農用馬として重宝されてきましたが、

農業の機械化の流れと共に数が減り続け、1995年には9頭にまで激減しました。

その後の保護策により、現在は40頭ほどにまで回復しています。

馬と放牧地が県の天然記念物に指定されています。

遠望より。

ひらけた草原に建っています。

ここからは《2017年》訪問時の写真となります。

前回は寒立馬に気を取られ、柵内に入れるのを見落としていました、、、

根元がコンクリートにて補強され、入口が延長されています。

初点記念額は内部にあるとの事です。

外観は典型的な「ブラントン灯台」となっています。

ペンキの剥がれた箇所からレンガが見えていました。

140年以上も前に作られた物になります。

改修工事で出たレンガの一部が展示されていました。

官舎などがあった場所は、広場となっています。

反対側に周って、岬の突端から。

沖合い30km付近に尻屋海脚があり、そこを境に津軽海峡(左)と太平洋(右)に区別されます

雲っていたためレンズをはっきりと見る事が出来ました。

第2等とはいえ、巨大なフレネルレンズです。

鉛色の空も哀愁があって良いもの?です。

尻屋崎への道にはゲートがあり、夜間と冬季は閉まっています。

また、寒立馬は冬季の間は近くのアタカと呼ばれる所に移されています。

ゲート付近に親子馬がいました。

子馬はスヤスヤお休みしていました。

 

行き方:

 むつ市から県道6号線を北東方向へ行くと終点が尻屋地区です。

 入り口にはゲートがあります。開くのは午前7時~です。

 尻屋崎周辺は周回道路となっていますが、尻屋集落側(南側)のゲートは開く時間が遅いです。