《訪問年:2015年》
日本の灯台50選に選ばれています。また、参観灯台でもあります。
志摩半島 大王崎に建っています。
突出した形であるため遠州灘と熊野灘の波を受ける形となっていて、昔から「伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」と船頭たちに唄われる程の難所のひとつでした。
初点灯は1927年(昭和2年)です。
古くからの難所であったのに加え、1913年(大正2年)にサンマ漁船が遭難、1918年(大正5年)には日本海軍の防護巡洋艦「音羽」が大王岩にて座礁沈没する事故が発生し灯台建設に至りました。
近年まで「燈台守」が詰める有人灯台でした。
2004年(平成16年)にレーダー式の波高計が設置されたため、東海地方で最後まで残っていた「燈台守」が姿を消しました。
日本の「燈台守」は2006年(平成18年) 長崎県にある女島灯台が無人化され、全て姿を消しました。
鉄筋コンクリート製、灯器はLU-M型、単閃白赤互光 毎30秒に白1閃光・赤1閃光、光度 白色25万・赤色4.7万カンデラ、光達距離 白光18.5海里(約34km)赤光17.5海里(約30km)、塔高22.5m、灯火標高45.53mとなっています。
初点は1927年(昭和2年)です。
1927年(昭和 2年)初点。
関東大震災復旧後の新設第一号。
1954年(昭和29年)無線方位信号所が併設される。
2004年(平成16年)無人化。
2005年(平成17年)第4等フレネルレンズからLU-M型灯器に変更。
2013年(平成25年)国の登録有形文化財となる。
灯器はLU-M型、単閃白赤互光 毎30秒に白1閃光・赤1閃光、光度 白色25万・赤色4.7万カンデラ、光達距離 白光18.5海里(約34km)赤光17.5海里(約30km)、塔高22.5m、灯火標高45.53mの鉄筋コンクリート造灯台です。
正面入り口。
ひさしのデザインが凝っています。
明治~昭和初期の建造物は細かい部分まで凝った造りとなっていて美しいです。
入り口の初点記念額は改修時に新調された物です。
初点時の記念額は扉の中にありました。
付属舎2階は休憩所となっています。
赤光を出すためにランプの前に赤色板が取り付けられています。
灯器やレンズがどれであろうと基本的に色の着いた板が使用されています。
緑光の灯台は緑色の板といった感じです。
隣にある資料室にて白光と赤光が交互に点滅する仕組みを引退した実機を用いて解説されています。
白光の時。
赤光の時。
外へ。
眼前に海が広がります。
海の名称は、対向する灯台を結んだ線や突端に建つ灯台を境に定められています。
左方。
こちらの突端が「大王崎」です。
突端手前に無線方位信号所(細長いアンテナ)があります。
中央。
街が広がっています。
右方。
奥の平坦になっている所が展望所となっています。
LU-M型灯器。
2005年に第4等フレネルレンズから変更となりました。
バルコニー前に大きな文字が描かれています。
「118番」は海上保安庁に繋がるので、海上での「もしも」はこちらに電話を。
海難事件事故の他、油の流出、密航・密輸・不審船、機雷・不発弾等の通報もこちらです。
「118番」に通報するべき事案を「110番・119番」に電話してもすぐに取り次いでくれるので問題はありませんが、まだまだ一般の認知度は低いそうです。
地上のバルコニー側へ。
円形灯塔の下部に二階建付属舎を持つ珍しい構造の灯台です。
大正時代までのコンクリート造の灯台は四角形が多いですが、大王埼灯台以降は円形ばかりになりました。
コンクリート建築の技術が向上した結果と思われます。
上から見えた「118番」の文字。
国の登録有形文化財です。
灯台前。
駐車場からの歩道は土産物屋が並んでいます。
伊勢志摩は真珠が名産なので宝石屋が多いです。
展望所から。
わずかに赤色板が見えます。
漁港にあるモニュメント。
風光明媚な志摩半島には、明治時代から多くの画家が訪れたそうです。
旧大王町は「絵かきの町」との事です。
行き方:
鳥羽市から国道167号線またはパールロードで志摩市方面へ行きます。
志摩市内から国道260号線でさらに南へ。県道515号線との交差点(大王崎入口)より県道に入ります。
道なりに進むと終点が大王崎です。
周辺は漁港と観光地になっており、駐車場は土産物屋などの有料しかありません。