《訪問年:2014年》
別名「不動ヶ滝」「幣ヶ滝」とも呼ばれています。
滝の看板には高さ16m、幅4mとあります。
日本海に沈む夕日が滝の水に反射する美しい光を見た西行法師が、命名したと伝えられています。
滝に打たれる様に不動尊像が置かれていた事から「不動ヶ滝」とも呼ばれるようになったそうです。
滝の前は道を挟んですぐに海となっています。
海の目前に滝があるのは切立った崖の多い越前海岸らしいと思います。
越前海岸には近くにいくつか滝があります。
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《訪問年:2016年》
ロックフィルダムとは岩石や土砂を積み上げた構造のダムの事です。
青土(おおづち)ダムは野洲川上流にあり、1988年(昭和63年)に完成した県営の多目的ダムです。
さらに上流にある灌漑用の野洲川ダムを補助し、洪水軽減や水資源確保の為に建設されました。
堤高43.5m、堤頂長360m、総貯水容量730万立方メートルです。
このダムの特徴は自由越流頂式(ゲートレス)の常用洪水吐きと非常用洪水吐きです。
「常用洪水吐き」は常満クレスト(自由越流堰)・ゲートレスオリフィス直結型を2門採用。
「非常用洪水吐き」はクレスト自由越流式を2門採用しています。
ダム穴(グローリーホール)に近い形をしています。
「洪水吐き」とは洪水がダムに入ってきた際にダム保安の為に使用する放流設備です。
洪水調整が目的のダムでは、下流河川保護の為に調整放流する為の設備の事も言います。
自由越流頂式の常用洪水吐きは日本ではほとんど採用されていない珍しい構造です。
アメリカ等外国にはいくつかありますが、重力式やアーチ式ダムでの採用がほとんどです。
ロックフィルダムなのでデザインが特殊となり、この形は世界でもここにしか無いと言われています。
このダムの平常時最高貯水位は標高292m(貯水率100%)です。
常満クレストを採用している為、普段から水位は290m付近となっています。
洪水時最高水位は300m(貯水率275%)で、最高水位を越えると非常洪水吐きから越流していきます。
貯水率275%は現実にはあり得ない数字なので、放流を見る事はまずありません。
越流放水しているかは、滋賀県の土木防災情報システムというサイトで確認する事が出来ます。
ダムはよく無用の長物や税金の無駄使いとして批判の槍玉に挙げられます。
治水ダムの効果は巨額の建設費に見合ったものなのか、はたまた机上の空論に過ぎなかったのかは、実際に運用を開始するまで分からないと言われています。
実際、無駄使いで終わったダムは存在します。
目に見える判り易い部分しか報道されていませんが、建設には多くの犠牲や故郷を失う悲しみを伴っている事を、ないがしろにしてはいけないと思います。
ただのコンクリートの塊かもしれませんが、土木技術の粋を結集してダムは造られています。
普段何気ない事でも視点を変えてみると違った面が見えてくるかもしれません。
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【滝】白銀の滝[北海道 石狩市]
《訪問年:2016年》
北海道 石狩市にある滝です。
落差50mの滝で「しらがねのたき」と読みます。
「北海道三大秘岬」のひとつとされていた雄冬岬(おふゆみさき)にあります。
春先は雪解け水で水量が増し、かなり迫力があるそうです。
海岸に落ちており、滝前はすぐ日本海となっています。
1981年の国道開通に合わせ命名されました。
雄冬岬の北側にある雄冬集落は国道231号線が全通する1981年(昭和56年)まで「陸の孤島」と呼ばれ、実質的な交通手段は1日1往復の増毛-雄冬間の定期航路のみでした。
その定期航路も時化による運休が多く孤立することが珍しくなかったそうです。
国道開通で「陸の孤島」は解消しましたが、冬季は国道が閉鎖され依然として孤立が続いていました。
完全に解消されたのは国道213号線が全線通年供用可能となった、1992年(平成4年)の事です。
また、北海道で最後に電話回線が自動化された場所でもあります。
先述の通り「陸の孤島」であった為、海に直接回線を敷設する大規模工事の末、1978年(昭和53年)に自動化が完了しました。
国内でインフラ整備が遅れていた北海道の中でも特に遅かった土地です。それほどの難所だったという事かなと思います。
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《訪問年:2011年》
江戸時代(1854年)に周辺の村々の水不足解消の為に造られた水路橋で、国の重要文化財の指定、環境省の疏水百選に選定されています。
橋長75.6m、橋高20.2m、橋幅6.3m、アーチ半径27.6mあり、江戸時代に造られた石橋の中では国内最大規模を誇ります。
上部に3本の石管が通っていて現在も灌漑用水に使用されています。
噴水管(逆サイフォン)式の橋で、橋両側の水路の方が高い位置にあります。
通潤橋は日本独自の技術で最初に完成した噴水管の橋と言われており、石橋や石管には様々な工夫が施されていて、当時の日本の石工技術がいかに高かったかがうかがい知れます。
橋の両側中央付近に放水口(泥・砂吐き用)が設けられており、農閑期に観光客向けの観光放水が行われています。
1日1回正午から約10分間、G.Wは2回正午と14時となっています。
また、定期放水の他に予約放水(1日1回1組限定で1万円)もあります。
橋の維持や本来の目的(農業用水の確保)の為、時期の制限や回数制限があります。
水不足の時は中止となる場合もあります。
山都町のホームページで案内されているので、行かれる前に確認してください。
橋の上を通行することは可能ですが、柵などは一切ありません。
今まで落ちた人はいないとの事ですが、凹凸が多いので走ったり乗り出し過ぎない様に注意が要ります。
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《訪問年:2011年》
ホームが地下にあるトンネル駅で、階段が486段もある「日本一のモグラ駅」として有名です。
隣の湯檜曽駅と同じくホームが地下にあるトンネル駅です。
川端康成の小説「雪国」の冒頭に登場するトンネルのモデルになっているトンネルの近くにあります。
そのトンネルは現在上り線に使用されている清水トンネルです。
1931年(昭和6年)に上越線の信号所として開業し、翌年から冬季のみの旅客営業を開始しました。
1936年(昭和11年)に駅へと昇格し、1967年(昭和42年)の新清水トンネル開通(上越線の複線化)に伴い下りホーム(地下)を新設しました。
この時に駅舎と上りホームが地上に、下りホームが新清水トンネル内となりました。
地下ホームへは、地上部:143mの連絡通路と階段2ヵ所(24段)・地下部:338mの階段(462段)を通らなければなりません。
改札から下りホームまで10分程かかるので、有人駅時代は下り列車の改札は10分前で締め切られていたそうです。
駅舎の標高が653.7mですが、下りホームは583mなので、標高差が約70mもあります。
ちぐはぐな駅になってしまったのは、前述の通り元々開業時は単線であったのを新トンネル開通に合わせホームを増設した事にあります。
土合駅を挟んで両隣の駅との間には、上りはトンネル3本とループ線がありますが、下り線は新清水トンネル1本だけです。
長大トンネルを掘る技術が向上した結果ですが、技術の進歩は必ずしも便利な事ばかりでは無いという事に気付かせてくれます。
駅前には何も無く、普段は乗客がほとんどいません。本数も一日5往復程度です。
ただ、夏期は谷川岳への登山客が多く利用しており、夜に行くと山小屋か?というくらい人がシュラフで寝ています。
地下ホームの感想です。
トンネル内という事でひんやりしていて過ごし易いですが、湿度がかなり高いです。
列車がトンネルに入ると下から霧がモァ~と上がって来ます。
また、階段とホームでは温度差がかなりあり、眼鏡やカメラが結露するので注意して下さい。
地下への階段の前に立つとまず、その深さに「おぉ~!!」となります。
約340mあるので1段目が遠くに見えます。
階段は5段ごと踊り場が設けれており、10段ずつ段数が表記されています。
下りるのは楽ですが、上りはかなりしんどいです。
電車で登山に来る人はまずこの階段の洗礼を受けます。
荷物を背負って上ると結構堪えるかと思います。
通年営業のトンネル駅は日本に5駅あります。
【今回紹介】
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《訪問年:2012年》
落差は42mあります。
日本四名山、日本百景にもなっている西日本を代表する山の一つ“大山”にある滝です。<
大山にはこの他にも大小様々な滝があります。
元は3段瀑でしたが1934年(昭和9年)に襲来した室戸台風の水害で2段瀑となりました。
さらに2011年(平成23年)に襲来した台風12号の影響で、今度は直瀑になってしまいました。
入口にある管理小屋に1933年(昭和8年)に撮影された3段瀑だった当時の貴重な写真があります。
本やインターネットで出てくる2段瀑をもう見る事が出来なくなったのは残念です。
それぞれの状態が写真として記録に残っている、自然の力の大きさを見る事が出来る珍しい滝です。
ですが、直瀑になったとはいえ滝自体の美しさは衰えていません。
岩山が崩落したおかげで、かえって滝周辺が開け奥行きが出来たそうです。
一向平野営場の駐車場から1.8km歩いた所にあります。
遊歩道が整備され道中の足場は良いですが、アップダウンが激しい所があります。
特に入口から800~900m付近にある階段がネックで、かなりの角度と踏み桟が狭い為、上下ともに息が切れます。
途中で休憩すると片道40分程度かかります。十分な水分を持って行くのをお勧めします。
また、観瀑台から滝壺に下りる事が出来ますが、鎖場があります。
しっかりとした靴を履いて行く方が良いです。
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