《訪問年:2014年》
福井県 坂井市にある1576年(天正4年)に築城された城です。
現存する12天守の一つとなっています。
大入母屋造りの上に回縁勾欄付きの望楼を乗せた初期天守の構造を見る事が出来ます。
現在の天守は1628年(寛永5年)に建造された事が最近の調査で明らかになりました
また、別名「霞ヶ城」と呼ばれ園内に400本の桜の木が植えられており、日本のさくら名所100選に認定されています。
この城は一向一揆の備えとして、織田信長の命で柴田勝家の甥である勝豊が築きました。
1948年(昭和23年)に起きた福井大地震で天守は倒壊しましたが、1955年(昭和30年)に元の材木70%ほどを再利用し組み直して修復されました。
旧丸岡町では日本一短い手紙として有名な戦国武将の本多重次が妻へ宛てた手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」をモチーフに「一筆啓上賞」という手紙のコンテストを行っています。
本多重次の「一筆啓上」から始まるこの手紙は、用件を簡潔明瞭に伝えており、手紙のお手本と評価されています。
一文に出てくる「お仙」こと本田成重が初代丸岡藩主であった縁から来ています。
天守への階段。
丘を上がってきたところに、さらに上りが続きます。
元は石製ではなく、銅板を貼った物だったそうですが、戦時中の改修の際に材料が手に入らなかったため石で代用したそうです。
福井大地震で倒壊した際に落下したので、現在は元と同じ材料で作られた物が取り付けられています。
1階の飛び出している部分が「石落とし」です。
隙間の多い石垣は、初期の積み方らしく水はけがすごく良いそうです。
石垣の周りを廻ることが出来ます。
城主気分?が味わえます。
天守入り口から。
内部。
1階には中央に大きな部屋があり、周囲が回廊となっています。
石落とし。
ここから攻めてくる敵に石を落としたり、鉄砲を撃ったりしたそうです。
当時の姿を再現したジオラマ。
忍者や馬を探したりと楽しませてくれる仕様となっています。
丸岡城の名物?急な階段。
階段というよりも梯子に近いです。
2階。
3階。
2・3階に回廊はありません。
3階は窓が大きいので、城とは思えないほど明るいです。
3階窓から。
瓦が石で作られています。寒冷地対策だそうです。
小高い丘の上にあるので見晴らしが良いです。
上りよりも下りが怖いです。
1~2階、2~3階の2箇所とも同じ角度の階段です。
ロープは観光客用に付けたそうです。
さくら名所100選の記念額があります。
お店の裏が庭園になっています。
小高い丘の上にあるので、駐車場から少し上ります。
けっこう規模の大きい城だった様です。
排水溝の蓋にもデザインが施されています。
行き方:
北陸自動車道 丸岡I.C出口すぐの交差点を右折(県道17号線)し北上します。
案内看板のある交差点を左折すると公園の駐車場があります。